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ツール・ド・おきなわ2010 シニア50km レースレポート

お待たせしました。レースレポートを公開します。

tdo_smin1-2.jpg
「ツール・ド・おきなわ シニア50kmレース」
おきなわのレースレポートを書かせて頂くのはこれで4回目となりました。
肝心のレース結果としては、2年連続3回目の優勝を飾ることができました。
シニアクラスが新設されて今回で4回目となる大会で、3回の優勝を飾ることが出来た事は自分でも信じがたく、未だに実感が沸いていません。

新設されてから今回の4回目までの成績は…

2007年=優勝(年齢別1位)
2008年=4位(年齢別2位)
2009年=優勝(年齢別1位)
2010年=優勝(年齢別1位)

因みに、それ以前の市民50kmでの記録は・・・

2004年=4位(年齢別1位)
2005年=5位(年齢別1位)
2006年=3位(年齢別2位)

まさに、シニアクラスの新設で優勝の夢が叶った事に成りますが、本当は今でも市民50kmで勝負がしたいという気持ちが強くあります。

さて、2009年大会の優勝から1年。レースが終わると、優勝のプレッシャーから開放されていつも「抜け殻」状態。
2010年大会まで、「まだ、1年有るさ・・・」、「まだ、半年有るさ…」、「まあ、何とか成るさ・・・」。
そうこう思っているうちに2010年の10月を迎えてしまいました。
「ヤバイ、あと1ヶ月しかないジャン!」
我に返って真面目にトレーニングを始めたのは、レースの1ヶ月前。

それからは、食事制限をしながらの絞込み。
結果、筋肉量を減らさないで3kgの減量に成功。(脂肪だけを落とすことが大切です。)
そして、仕上がり具合に合わせた機材の選択とセッティング。
毎年毎年減っていくトレーニング量。
例年行っていた「夜練」は無し。走行距離も前年の半分くらいしか走っていない。
それでも、1ヶ月で「何とか勝負に成るであろう」と言うところまでは仕上げることが出来ました。
しかし、不安はぬぐえない。
ゴールスプリントには自信が有る。負けるとしたら、登りでのアタック。
前々回の2008年大会では、最大のライバル「岩瀬選手」に再三のアタックを繰り返され、最後に天底の坂で引き離されてしまった。
そこで今回は負けない為の選択。繰り返しのダッシュにも耐えられる軽いホイール=「カンパニョーロ・BORA」を選択。

さて、今回も私が出走したシニア50kmには500名を超えるエントリーが有ります。
500名も居ると、先頭付近のレース展開と後方でのレース展開はまるで別世界。
それどころか、先頭集団でさえ、先頭付近と後方では見える世界が違っています。
常に先頭付近に居た私の目から見て、本当にレースをしている人、レース展開が見えている人は精々10名足らず。
先頭集団にいた人でさえ「逃げている人が居た」事や、「どの選手が何処から逃げて何処で捕まったか」を知らない。
そして最後ストレートで「奇跡の大どんでん返し」が有った事を知らない人が殆どではないでしょうか?
「集団の中で脚を使わないでゴール前に漁夫の利をねらう」事が、レースに勝つコツでは有りません。
それでも私が目にしたレポート(ブログ)の殆どが、「成るべく脚を使わないでゴール勝負で何着でした!」なんて記事ばかりです。
そんな人達にこそ、レースの先頭でで起こった本当の出来事を知って欲しいと思います。

前置きが長くなってしまいましたが、それではシニア50Kmのレースレポートをお届けします。

2010年11月14日(日曜日)午前7時10分にレースはスタートされる。

午前6時30分。ウォームアップを終えてシニア50kmの最前列に並ぶ。
前日のチームメンバーからの連絡では、「警戒するような選手の名前はありません」との事であったのだが、横に並んだ西丸先輩からは、「おい、今回は岩瀬君が居るぞ!」との情報が入った。
強気に「大丈夫です。今年の僕は今までとは違いますから…。」と答えたものの、殺気立つチーム員達の動揺は隠せない。

そして、午前7時10分。

カウントダウンも全く無い中でいきなり成り鳴らされたスタートの号砲。
戸惑う選手たち。
一年間、この瞬間を待ちに待った選手達にはなんとも残念なレースの幕開け。
気を取り直して、先行するペースカーの後ろに付いた。

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事前の説明では、「スタート後の2kmがパレード走行です」との事であったのだが、実際には3Kmチョット。
このあたりの情報は、オフィシャルであれば正確にお願いしたいものです。

そしてスタート後3km過ぎ、スタートの幕は切って落とされました。

すぐに始まる500m程の短い登り。西丸選手率いる「PMVワンダーズ」の面々が先頭に立つ。
「どれ位引けるのだろう?」と様子を見ているのもつかの間、左端からピンクのジャージの岩瀬選手がスルリスルリと上がってきた。

「ヤバイ、行かれる!」「どいてくれ!道を開けろ!」

そう叫んでいるうちに、岩瀬選手との差は開いてしまった。
この仕掛けは初めから予想していた事。しかし、周りが反応しないことなんて考えられなかった。
いや、反応出来なかったのかもしれない。
すぐに下りに入り、前を行く岩瀬選手を懸命に追うがなかなか差は詰まらない。
得意な下り。その気になれば捕まえられない事は無い。
しかし、「ココでパワー全快は有りなのか?彼との潰しあいの為に沖縄まで来たのではない。」と考え後ろを確認。そこには、チームメイトの村瀬の姿があった。
「頼む」と一言。必死で前を追う村瀬。そして続く安藤。
リゾネックス名護近く、チームメイトの必死のアシストで力を残しつつも岩瀬選手に追いつくことが出来た。
そこから先の海岸線。相変わらずの岩瀬選手の波状攻撃。反応するのは私だけ。
ダッシュをしては、後ろ(私)を確認するとスローダウンを繰り返す岩瀬選手。
周りは常に一定ペース。既にこの時点で、集団でまどろんでいる人達とはエネルギーの消費量が違う。
しかし、エネルギーの消費を恐れて岩瀬選手を逃がすわけには行かない。
岩瀬選手の強さは、私が一番知っている。彼に勝った者が、シニア50kmを制する。
私が狙うのは「優勝」のみ。2位や3位なんて欲しくも無い。
暫くして岩瀬選手のペースが安定。そこで、安藤を私の前(岩瀬選手の後ろ)に回す事に。
ココから先の勝負ポイント「水族館の坂」までは仕掛けは無いであろう…との予測からだ。

そして、本部のスプリントポイント。先頭を行く岩瀬選手に続く安藤。
周りからは、スプリントポイント狙いのアタックが掛かる。
そして、それを振り返り確認する安藤。
「コラ!後ろなんか見るな!前をしっかり見てろ!」。
スプリントポイントを取りに沖縄まで来たんじゃない。集中力の無い安藤にいら立つ。

本部のスプリントポイントを越え、本部大橋~浦崎(ファミマ)の交差点。
この手前で、安藤がフロントギヤをインナーに入れた。
「?」と疑問に思う私。「水族館の坂をインナーで登るのか?」チョット考えられないが、そのまま水族館の坂に向かった。

静かに坂を登り始めて道の駅付近、岩瀬選手のアタックが始まった。
それと同時に千切れる安藤。「マジか?まだこれからだろう…」
少し前を任せてみたものの、その距離は開くばかり。
安藤を外し、必死に自力で前を追うが捉えることが出来ない。
「ダメだ、強すぎる!」「もう、終わりなのか?」「もう、諦めるのか?」自問自答しながら、必死でペダルを漕ぐ。
頂上付近で交代の合図を出し、下りで少し休ませてもらう。そしてようやく、備瀬の下りで先行する岩瀬選手を捕らえる事が出来た。
しかし、その後も何度も何度も強烈なアタック。
「もう、やめてくれ!」「もう、あきらめようか?」「いや、まだ足は余っているじゃないか!ここで諦めていいのか?」
ここからは岩瀬選手との勝負ではなく、弱音を吐く自分との勝負が始まった。
それほど、岩瀬選手の強さは特別だった。

しかし、今帰仁近くになると、予想外にレースは平穏に進んだ。
「嵐の前の静けさか?」
「恐らく、今帰仁過ぎの天底の坂でのアタックに力を蓄えているに違いない。」
そう岩瀬選手を警戒しながら、天底の坂に差し掛かる。
しかし、レースは予想外。岩瀬選手のペースは一向に上がらない。
その時、「ヨシ、コレで勝った!」と心の中で思った。
そしてその後、スルスルっと左から上がる一人の選手(溝端選手)。
なにやら岩瀬選手と話した後に、一人ペースを上げて行った。
暫くして呼吸が楽になった私…「シマッタ!やられた!」と、ようやく気付く。
岩瀬選手が、マークのきつい自分を捨てて溝端選手を逃がしたのだ。
そこで、「オ~イ、1人逃げているぞ!」と叫んで周りに注意勧告。
「安藤、追ってくれ!」
しかし、それに続く選手が居ない。先頭を1人で引くも、後ろが続かずに集団に戻る安藤。
私もそれに加わりたいのだが、それでは岩瀬選手の思う壺。
先頭を引いた所を後からアタックされる事は目に見えている。
いら立つばかりでペースは上がらない。一人逃げが決まるいつものパターンになってしまった。
岩瀬選手の動きを封じ込める選手は私以外には居ない。それでも仕方なく、岩瀬選手を警戒しつつ先頭交代に加わる。
それにしても、後ろに付いているばかりでローテーションに加わる選手が少ない。
見かねて、「いい加減、前に出ろよ!」と他の選手のケツを押し出した。

そして、遂に58号線に入る。
もう、先頭の溝端選手は米粒ほどにしか見えない。
先頭でペースを上げたいが、岩瀬選手から目を離すわけには行かない。
先頭交代しつつも、岩瀬選手を警戒。最後の伊差川交差点過ぎの坂に差し掛かった。

岩瀬選手との間に他の選手を入れた瞬間、岩瀬選手のアタックが掛かった。
反応が遅れ、いきなり20m程離される。必死に追うが、なかなか距離は詰まらない。
下りに入ると1人の選手が「行きましょう」と声を掛けてくれた。
後ろに付きながらも、「もう精一杯です。」と弱気な私。
後ろを振り返ると、大集団が間近に迫っていた。
「この距離なら、集団に戻った方が良い」と判断し、集団に戻る事に。
そして、そこにはチームメンバーの安藤の姿があった。
「引いてくれ!」
残り約3Km 。必死で前を追う安藤。
そして、残り2Km。遂に2番手を行く岩瀬選手を捉えることが出来た。
しかしそこでハプニング。チームメイトの村瀬がパンクをしてしまったのだ。
もう、アシストは居ない。ここからは、全て自力勝負。

そして、宮里4丁目の交差点を右折。
しかし、そこには先頭を逃げる溝端選手の姿はもう無い。
「失敗だ、仕方ない。」と完全に開き直った。
そこからは集団での頭取り=2位争いに集中した。
2位を取っても嬉しくは無いが、ゴールスプリントで負けることは許されない。
その為に、事前に綿密なコース確認した。
地図にゴールまでの距離を書き込み、その目印、マンホールの位置までも事前に確認。
何処からどう仕掛けるかは、恐らく地元の選手よりも綿密に計算。

そして、奇跡は起こった!

ゴール前1km過ぎ、遥か先頭を行く筈の溝端選手が視界に入ったのだ。
どうやら、コースミスを犯して脇道に入ってしまったらしい。(ゴール後に本人確認)
「やった、捕まえられる!」一気に、身が引き締まった。
ココで、綿密にコース確認を行った私が優位に立ったのだった。
「勝負は時の運」と言うが、運は自分が呼び寄せるもの。
勝つための準備をして来た私に、勝利の女神はチャンスを与えてくれたのだ。
足には余裕が有った。ロングスプリントを仕掛けようかと迷ったが、溝端選手の諦めが目に見えたので「ココは冷静に」とゴール勝負に集中することにした。

残り500m。遂に逃げる溝端選手を集団が飲み込んだ。

奇跡の、大どんでん返しだ!

それでもペースは時速40km台のスローペース。横一杯に広がる大集団。ペースは一向に上がらない。
「遅い!遅すぎる!」
幸い、横に広がった集団が上手い事に後方を塞いでくれている。
「慌てるな、誰かが仕掛けた時がチャンス!」
わざと、車を一車身下げた。…3番手で充分。

ラスト400。
1人の選手が必死に踏んでいるがかなかな伸びない。単独3番手。

ラスト300m。
周りの動きを感じ、2番手を行く選手に「行け!」と声を掛ける。
しかし、踏んでは居る様だが自転車が進まない。

ラスト200m。

周りが止まって見える。もう待てない。
ギヤをトップ(52×12)に入れ、スプリント開始。

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スピードは、一気に時速43km⇒55kmまで加速。
踏み出した瞬間に勝利を確信した。

ラスト100m。

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ゴールの白線が視界に迫ってくる。

そして、ゴール!

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タッチ板を踏む軽い音が心地よく耳に響く。

「ヨッシャ~!」と大声を上げてのガッツポーズ!

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そして、指を3本立てて「3勝目をアピール」。(コレも、練習していました!)

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コレで、私の「ツール・ド・おきなわ2010」は無事に終わりました。
今は、嬉しいと言うよりも安堵感で一杯です。
ゴール後は、沢山の方々に握手をして頂きました。
沢山の皆さんから応援をして頂き、沢山の皆さんから祝福をされ、今はその責任を果たした事で心が一杯になっています。

さて、このレポートを読んで、「レース展開は知ってるよ」と言える人は何人いたでしょうか?

今回私が勝利できたことは、奇跡としか言いようが有りません。
岩瀬選手は、恐ろしいほど強かった。本当に強かった。
そして、あのどんでん返しが無かったら・・・・・・。

閉会式の挨拶で、「4回のうち3回優勝したから、次回からは100kmを目指しては?」とのご意見を頂きましたが、私には全くそのつもりは有りません。それは、私自身が強くなる事を目指してトレーニングしている訳では無いからです。
私はいつも「勝ち方」を教える為に、チームメイトと共にレースに参加しているに過ぎません。
そして、自分の為でなく「チームジャージの為」に勝利を目指しているのです。
その為には、私だけが前に進む事は有り得ないからです。
(本当は練習嫌い。これ以上は練習したくありません。)

「一人で見る夢はただの夢。皆で見る夢はそれが現実になる。」By オノ・ヨーコ。

チーム員みんなで見た夢。それが現実となりました。

そして、チーム員の3名が表彰台に上がる事が出来ました。

DSC02467.jpg

木下=レディース50km/3位、小島=市民100km/3位。

次回の「ツール・ド・おきなわ2011」、私は勿論、シニア50kmに出走します。
そして、その次も、その次も…チームメイトから優勝者が出るまでは。

鈴木雅彦 47歳
Team-DADDY 監督兼選手
自転車 ピナレロ・プリンス Di2
ホイール カンパニョーロ・BORA ULTRA
ギヤ 52×42/12-23T


テーマ : 自転車ロードレース - ジャンル : スポーツ

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